太極武藝館


太極武藝館脱力を考える




はじめに


 初めまして。私は Buddy P. Water(バディ・P・ウォーター)と申します。

 これから、主として太極拳を中心とする中国拳術に関わる「武術」を物理的に分析していこうと思いますが、人類が誕生した時点から原始的な武術が存在したことを考えると、その奥の深さは、到底、私のような一介の研究者が、現代物理学のみをもって解き明かせるようなものではないことを、十分に承知しています。
 従って、これから説明することは、純粋に「武術原理への物理学からの視点」であり、「武術のすべて」を物理的に分析し、解説したものではないということを、予め承知しておいて頂きたいと思います。

 しかしながら、このページで説明される「武術」に関する数々の物理学的な試みは、必ずや、これをご覧になった方々に役立ち、あなたの学んでいる武術が何であれ、そこに新たな理解やアイディアを生み出す原動力となり、そして何よりも、あなたは太極拳という中国が生んだ偉大な伝統武術の本当のチカラの一端を垣間見ることができるに違いありません。

 どうか最後まで、あなたが若き日のアインシュタインになったつもりで、この試みに、ご一緒におつきあい下さい。


「脱力」は、本当に高度な武術原理か?


 「陳氏太極拳」の優れた拳理拳学を有し、武術としての実戦性を今なお研究・研鑽する「太極武藝館」は、太極拳の神秘性とは反対に、数百年、数千年の伝統を持つ中国武術を非常に科学的に捉え、常に科学の観点から研究を続けており、その研究内容は、まだ世界で誰も試みたことがないものとして高く評価されるべきものです。

 その「太極武藝館」のホームページ開設に際して、『太極拳を科学する』というタイトルのページに於いて、「武術」を物理学的に分析する機会を与えられましたので、精一杯試みてみることにします。

 さて、記念すべき第一回目のテーマは、日本の武術界でよく目にする、全ての武術に通じる "高度な極意" とされている「脱力」についてです。
 しかし、果たして「脱力」は、物理学的に見て、本当に武術として効率的な高度な原理なのでしょうか?
 私は、ここ「太極武藝館」で陳氏太極拳を学ぶひとりの門人として、また物理学を愛する一人の研究者として、日本の武術家や武術界でよく話題にされる「脱力の原理」というものを耳にする度に、たいへん疑問を感じていました。

 この「脱力」は、一般的な日本の武術家ばかりではなく、中国人の武術家に陳氏太極拳を学んだという日本人が指導する様々な門派に於いてもその原理が尊ばれており、脱力理論は、武術の高度な「極意」として説かれている事が多いのです。
 しかし、陳有本系の陳氏太極拳を継承する当館の円山洋玄館長は、常日頃より「脱力」は、太極拳の術語である「放鬆」とは、きちんと区別されるべきものであると弟子たちに説かれています。 そして、太極拳で用いられるものは「脱力」ではなく「放鬆」であると明確に説明しておられ、時には、実際にそのふたつの違いを弟子たちに実験して見せてくれることさえあります。

 ある日、私たちは、師父から『もともと中国拳術には「脱力」などという概念は無く、そのことば自体も中国語には存在しない』というお話を聞き、私たちはその事実について全く知らなかったために、非常に驚きました。
 それがあまりの驚きであったため、それを裏付けるために中国語の辞書を引き、図書館に走り、あるいは当館の中国スタッフとも意見を交え、共に詳しく調査したのですが、結果はその通りであることが明らかになったのです。
 そして、もともと中国語や中国武術に無いものが、どうして「陳氏太極拳」を指導する様々な門派の武術原理になっているのかが、私たちにとっては「学問的」に、新たな大きな疑問となりました。

 合気道などの日本の武術については、そこに「脱力」という原理が存在するのかどうか、正直なところ、浅学な私にはよく分かっていません。しかし、私どもの太極武藝館には、植芝盛平先生の高弟である斉藤守弘先生のところで長年修行した人たちも居り、その門人と共に調査したところ、少なくとも「脱力」という原理は、どのような合気系武道にも共通する重要で高度な武術原理としては存在していないことが判りました。

 念のため申し上げておきますが、私は「脱力」を提唱する指導者や、それを武術原理とする門派を非難・中傷するつもりは毛頭ありません。「太極武藝館」のWebページにこのコーナーが設けられたのは、当門の門人をはじめ、武術を愛好する方々の科学への意識や興味を高揚して頂くことがその主たる目的であり、私はただ「脱力」というものが武術にとってどのような意味があるのかを、科学的、物理的、学問的に解明したいだけですので、門外の読者の方々はその辺りをどうかご理解頂きたいと思います。


 それでは、まず「脱力」という "言葉" のほうから検証をして行きましょう。

 手許の中国語辞典を見ても、先に述べた通り、やはり「脱力」という語はありません。やむを得ず、中国語で、「脱」と「力」に分けて引いてみることにしましょう。

「脱 (tou)」・・・

(髪の毛などが)抜ける/皮膚が剥ける

(服などを)脱ぐ


脱する/離れる/逃れる

(文字などを)抜かす

軽んじる/あなどる  


「力 (li) 」・・・

(物の)力

力/能力/作用

(特に)体力

努力する/力を入れる

  

 結果はこのように、「脱」という字は、あまり良い意味合いでは用いられず、もともと非常にネガティブな感覚の強い言葉であることが分かりました。
 したがって、少なくとも自国の国号を『中華=世界の中心』という意味にするような中国人が、世界に誇る 「功夫(Gong-Fu)/中国伝統武術」の原理に、このような意味を持つ言葉を適用するとは、非常に考えにくいのです。

 もし、日本語の「脱力」を中国語に翻訳するとすれば、「弛懈 ( chi-xie )」という言葉が最も近いものであると思われます。
 「弛」の正確な発音を日本語で表現するのは困難ですが、あえて表記すると、
「ツー(/)」、「懈」は「シエ(\)」とカタカナ通りの発音となります。
因みに、ツー(/)の音は、口の両端を横に引いて、ツーと発音します。
いかがですか? 上手く発音できたでしょうか?

 なお、この『弛懈』の中国での認知度は低く、日本人が「脱力」という言葉を耳で聞いて、すぐに漢字を思い浮かべ意味を理解する(つまり、使用頻度に反して認知度は高い)のに比べ、「弛懈」という言葉は、文字を見ずに耳で聞くだけの場合、中国人でもすぐに理解する人は決して多くはない、ということを付け加えておきます。

 実は、中国語には「脱力」に代わる一般的な言葉として、「四肢無力」というのがあるのです。 これは、中国人であれば、聞けば誰でもすぐに理解できる、ポピュラーな言葉(認知度は日本の「脱力」 と同レベル)なのですが、使用例は、疲れて、或いは病気でぐったりした、力が入らない・・・等の状況で使いますので、やはり、高度な武術原理を表す言葉としては、まったく不適当なものですね。

 また、上記の「弛懈」の概念ですが、「弛」とは日本語同様、弛緩、たるむということです。「懈」とは気をゆるめる、怠る、怠けるという意味です。まさに、意識も身体も共に張られていない、ユルユル・メロメロ・テレテレの状態、というところでしょうか。



 それでは次に、日本語における「脱力」の意味をハッキリさせておきましょう。
 「脱力」の意味を調べてみると、

   「体の力が抜けること・体の力が抜けた感覚」 (大辞林)であり、

 日本人が誇る、もうひとつの国民的代表的国語辞典である「広辞苑」を見てみると、
何と!「脱力」という記載が何も無く
(これには皆、アッと驚きました!)、ただ「脱力感」としてのみ解説されており、それは、

   「体の力が抜けて緊張できない感じ」 と、書かれていました。


 次に、私のように英語文化圏に暮らしている、武術を愛する多くの人たちに対しては、「脱力」という武術原理を、どのように説明することができるのでしょうか。

 しかし、英語の文化圏にも、日本の武術界で用いられるような、「脱力」というような観念は見当たりません。
 英語には、relax とか、relaxation というような言葉がありますが、それらは、ゆるむ、ゆるめる、寛ぐ、くつろがせる、緩和、軽減、気晴らし、娯楽、etc . . . などといったような意味合いで用いられており、やはり「脱力」という日本語の意味とは非常に遠いものです。
 しかし、もし「脱力」という日本語が、中国拳術などの武術理論として用いられる内容を持つものであるのなら、それは、きちんと英訳されてしかるべきものであるはずです。

 そこで、早速「和英辞典」を調べてみると、「脱力」という "日本語" が英訳されたものは、確かに辞書にありました。しかしそれは、またしても、
 
   a feeling of listless・・・・・もの憂げな、気乗りがしない、 
   a feeling of exhaustion・・・消耗、枯渇、激しい疲労感、

 
 ・・・などと訳されており、この「脱力」という言葉は、中国語、日本語、英語のいずれの言語に於いても、「武術的」には、決して "極意" のような高度な武術性を持つ意味を表わす言語であるとは、非常に考えにくいものであるということが分かってきました。

 なお「脱力」は、日本の武術界では「(余分な)チカラを抜く」という意味で用いられていますが、言語がもつ意味として、そこで "抜けている" のは、もっぱら「身体のチカラ」でしかないのに対し、中国語の「弛懈」は、"意識と体" が並列でとらえられ、意識と身体が「共に弛む」ことを述べているという点で、「脱力」とは大きく異なっており、中国武術の術語である「放鬆」との対比に於いては、概念としては日本語の「脱力」より遥かに適当な言葉であると言えます。
 つまり、もし「脱力」が、中国拳術を含む高度な武術理論として解説されるのであれば、それはこの「弛懈」や「放鬆」のように、意識と身体の両方が並列で捉えられているような言葉が「脱力」に代わって用いられるべきではないでしょうか。

 以上のことから、「脱力」は、その言葉自体が言語としての文化的背景や、武術的な「極意」として表現され得るような意味を持っておらず、また中国拳術や中国語に存在しない事から、中国拳術を含む武術の原理を表す言葉としては表現が相応しくないにも関わらず、非常に曖昧なまま、あたかも陳氏太極拳から生じた術理のように扱われたり、一般的武術の原理や高度な身体操作の「極意」として使われてしまっていることがお分かりになると思います。

 そしてもうひとつは、「脱力」という現象は物理学的に観ても、決して高度な武術原理にはなり難い性質のものであるということです。
 今回、記念すべき第一回目の『太極拳を科学する』は、この、日本の武術界における、独特の、極意的な、そして一見、科学的、武術的な身体操作に見えながらも、非常に曖昧な観念であるといえる「脱力」ということをテーマに、それを『物理学の目』から照らして、どなたにも分かりやすい解き方で、みなさんとご一緒に考えてみたいと思います。


* * * * * * * *



 さて、本題に入る前に、まずこのページで必要になる「物理学の基礎知識」について、多くの人の理解が得られるように、あらかじめ説明しておきたいと思います。
 物理そのものや数式が苦手な方にも、できるだけ分かりやすく、楽しめるような工夫がしてありますので、ぜひご覧になって下さい。
 また、この「基礎知識」のページは、今後もこのコーナーで参考書のように使っていきますので、どうぞご活用下さい。


[Topへ]


Copyright (C) 2004-2010 Taikyoku Bugeikan. All rights reserved.