「推手(すいしゅ)tui-shou」は、陳氏太極拳では本来 と呼ばれ、「推す」という字と違って、あまり一般に知られていない『刃物でこそぎ、削り落とす』という意味を表す文字が使われているが、このホームページでは「推手」という語を用いることにしたい。
武術として伝えられている推手は、今日、多くの太極拳の教室や道場で行なわれているスポーツ運動や競技としての推手とは、その意味合いも内容も全く異なっており、それだけを取り上げても、陳氏太極拳が優れた実戦武術であることを証明することができる。
「推手」は本来、太極勁を用いる時の身体操作を学ぶために工夫された、非常に合理的な練習方法であり、基本功で練られてきた勁力が、具体的にどのように用いられるのかを学び、さらには、より実戦に近い「散手」の訓練に正しく至るための、最も重要な訓練法として整備されている。
したがって、推手の訓練方法を見れば、その門派の実力や、それが武術として行なわれているかどうかを一目瞭然に見て取ることができる。
推手で学ぶべきことは数多いが、それが重要な練功であるとされる最大の理由は、推手が「化勁の訓練」である、という事による。
推手は「化勁」の訓練法であるが、太極拳を学ぶ人の多くは、「化勁」と聞くと相手のチカラをいなすもの、つまり「さばき、流す」ための方法であると捉える人が多く、事実今までは武術研究家や武術家たちも、皆、そのように説明して来た。
そして、それ以上の内容となると、「相手のチカラに合わせ、抗わずに随い、引いてスキを作り、そのスキに落とす(反撃する)」・・などと、修行者にとっては何のことだか訳の分からぬものが多く、いったい「化勁」がどういうものであるのか、具体的に中身が見えない解説ばかりが多かったように思う。
しかし、「化勁」の実際は、高級拳術の高度な実戦訓練法なのである。
ここで太極拳に於ける「化勁」を定義してみると、
『を用い、相手の攻撃を同質化、無力化する技法。
また、蓄勁から発勁に至る過程で用いられるチカラおよび作用のこと』
・・・ということになるであろうか。
正しい「化勁」の理論を有し、それが正しく理解され、練功として正しく用いられ、なおかつそれが実用として用いられていなければ、それは太極拳とは言えない。
しかし、これが「化勁」である、化勁はこうやって行われる・・・と明確に、具体的に説明がなされた事は、私たちが知る限り、かつて一度もなかった。
因みに、「中國武術實用大全」(康戈武 編著/1991年/今日中国出版社)によると、「化勁」は次のように説明されている。
化勁とは、円弧による化で、柔らかく、を内に含む力である。
相手の攻撃動作を化により処理するもので、この勁の用い方には2種類ある。
其の一:相手の勁の方向を変え、勁を自分の身体のすぐそばを通るように
しむける。具体的方法としては、相手が正面から直線的に攻撃して
きた場合、こちらは後方右、或は左斜めに化する。
其の二:相手の勁が向かう方向(勁勢)に黏随(くっついて随う)して、
引進落空する。
具体的方法としては、相手の勁勢に合わせ及び、勁の方向に従い、
こちらの勁を過不足なく用いて引進落空する。
この勁を用いる鍵は、腰を軸とすることにある。
左、あるいは右に腰を転じることにより、" 化 " の有効範囲を大きくすること
ができ、引進落空を可能にし、或は、四両撥千斤の境地に達することができる。
翻訳:太極武藝館 編集部
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次に、これまでに日本の中国武術界で「化勁」がどのように説明されて来たのか、具体的に例を挙げてみよう。
例えば、様々な太極拳の専門書を見てみると、化勁とは、
「相手の力を躱したり流したりする勁を、一般的に化勁という」
「敵の攻撃を受け流す事を "化" といい、受け流す能力を "化勁" という」
・・などと、以外に素っ気なく、至って簡単に、単純に外側だけ解説されているものがほとんどであり、「化勁理論」などが書かれているものは皆無に等しいと言っても良く、中には「巻き付けやその他」などとアッサリ書かれていたりするものまである。
しかし、なかには良心的に、太極拳の「理論」を丁寧に解説している本もあった。
そこには「黏化勁」と「走化勁」がある程度きちんと説明されていたが、
「心身の機敏性を保ちながら放鬆して、相手にぴたりとくっついて、
常に自分が順勢であるように姿勢を調整し、侵攻して来た相手から
這々の態で逃げるのではなく、切っ先を避けてその隙を探す・・・」
・・・とか、
「孫子の兵法が教える、その鋭気を避けてその惰帰を撃つ、という
態勢で、主体性を失ってはいない・・」
・・などという表現で書かれており、おそらく著者は「化勁」をきちんと理解しておられる筈だが、この説明で化勁が何のコトだか分かってしまう読者なら、何もわざわざこれを読まなくてもよさそうなものだ、と思えなくもない。読者としてはその先をもう少し詳しく知りたいところであろう。
次に、中華武術オタクならずともワクワクするような、書店の店頭で購買意欲をそそられるタイトルがつけられた、雑誌などの『化勁特集』などを見てみると、
化勁とは「発勁する前の段階」で、相手の体勢を崩す「崩し」が化勁である。
・・また、化勁は「粘勁」と「走勁」から成り、
「相手の攻撃を探るレーダーのようなもので、相手の攻撃をかわすもの」であり、
「右から攻めて来たら、走勁で、逆らわないように自分の体を左方向に、
相手の攻撃と同じ勢いで動かすこと」などが化勁の実際である、
・・・などと書かれている。
しかし、いずれの説明も、実際にドウナルからコウスル、という、明快で具体的な説明がされているものは無く、読者にしてみれば『だからそれは、具体的に、どうすることなのか?』という疑問に満ちることになる。読者は常に「その先が知りたい!」のではなかろうか。
また、著名な武術研究家や、中国拳法の権威といわれるような人たちが「化勁」についてどのような見解を持っているのかと、興味津津で日米の資料を漁ってみると、
「相手の力を受け流したり、躱したり、あるいは吸収してしまう方法などを用いて
無力化してしまうことを言い、これらの方法を総称して化勁という」
「化勁の各法は、呼吸、身体における開合、呑吐と強調していて、
化を行う時には蓄勁になり、然る後に勁を発して相手を打つ」
・・などと、教科書的、中国武術大辞典的な立派な解説がされてはいるが、やはり他の著者と同じく、肝心な、具体的な説明などは為されていなかった。
これは欧米で出版されている洋書や専門雑誌まで含めてのことである。
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