太極武藝館


太極武藝館の歴史

 太極武藝館の歴史は、当館の創始者である円山洋玄師父が、1972年より約九年間に亘り、陳子明系の陳氏太極拳を受け継ぐ外族伝人から教授を許されたことに始まります。 

 当時 、1970年代の初めの頃は、太極拳は、まだその存在を知る人さえ極めて稀であり、その時代に非常に質の高い「陳氏太極拳」の拳理拳学を、正しい学習体系の中で、詳細にわたって学んだ日本人は、そう多くは存在しないと思われます。

 太極武藝館がその門戸を開いたのは、1979年、神奈川県に於いてひとりの若者がその稀に見る優れた資質を認められて入門を許されたことに始まります。
 しかし、円山洋玄師父は、以来、十数年の間は他に一切弟子を取らず、湘南にあった自営の店舗をたたみ、信州の標高800メートルの雪深い寒村に居を構え、瞑想と茶道、俳句、作曲などの芸術活動、そして太極拳三昧の、ひた向きな求道と研鑽の日々を送る山ごもりの修業期間に入ります。


 やがて、本物の武芸を追求する人々や、師父に東洋医学の治療を受けて難病から救われたり、劇的に健康を回復した人たちを通じて、その存在が徐々に知られはじめ、その武藝の奥深さに魅せられた人たちから教えを乞われ、1994年より、ようやく一般に向けて開門されることになりました。

 太極武藝館は、初めは道場を持たず、稽古は主に信州の大自然の中や、雪の季節には師父宅の土間や、村営の体育館で行なわれていました。
 長野冬期オリンピックが開かれることもあってか、当初から外国人の門下生も多く、隣村の白馬に滞在中の、オーストラリアのオリンピック陸上候補選手の女性は、師父の太極拳に強く魅せられ、後に外国人初の正式弟子となって、太極武藝館が国際的に活動するきっかけにもなりました。

 円山洋玄師父は、太極武藝館を開門してから七年間は、健康目的の人には陳式簡化太極拳を、武術を志す者には老架式の国家制定拳や査拳十路弾腿などを教えるのみで、本道である陳有本系陳氏太極拳の拳学体系は、正式な後継者のみが学ぶ絶対の秘密として、誰の目にも触れさせることなく、どのような場合にも教授される事がありませんでした。

 1999年、太極武藝館はその本拠地を、国内外への交通が至便で気候温暖な静岡県掛川市に移し、六十畳ほどの広さを持つ本格的な道場を構え、それまで秘密にしてきた陳氏太極拳小架式の高度な学習体系を、数名の正式弟子を中心に、一般門人にも徐々に公開し始めました。

 また、2001年には師父の長女を正式に后嗣および教練として認証し、次世代へ伝承するための確かな準備が始められています。

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