やがて、本物の武芸を追求する人々や、師父に東洋医学の治療を受けて難病から救われたり、劇的に健康を回復した人たちを通じて、その存在が徐々に知られはじめ、その武藝の奥深さに魅せられた人たちから教えを乞われ、1994年より、ようやく一般に向けて開門されることになりました。
太極武藝館は、初めは道場を持たず、稽古は主に信州の大自然の中や、雪の季節には師父宅の土間や、村営の体育館で行なわれていました。
長野冬期オリンピックが開かれることもあってか、当初から外国人の門下生も多く、隣村の白馬に滞在中の、オーストラリアのオリンピック陸上候補選手の女性は、師父の太極拳に強く魅せられ、後に外国人初の正式弟子となって、太極武藝館が国際的に活動するきっかけにもなりました。
円山洋玄師父は、太極武藝館を開門してから七年間は、健康目的の人には陳式簡化太極拳を、武術を志す者には老架式の国家制定拳や査拳十路弾腿などを教えるのみで、本道である陳有本系陳氏太極拳の拳学体系は、正式な後継者のみが学ぶ絶対の秘密として、誰の目にも触れさせることなく、どのような場合にも教授される事がありませんでした。
1999年、太極武藝館はその本拠地を、国内外への交通が至便で気候温暖な静岡県掛川市に移し、六十畳ほどの広さを持つ本格的な道場を構え、それまで秘密にしてきた陳氏太極拳小架式の高度な学習体系を、数名の正式弟子を中心に、一般門人にも徐々に公開し始めました。
また、2001年には師父の長女を正式に后嗣および教練として認証し、次世代へ伝承するための確かな準備が始められています。
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