太極武藝館


太極武藝館館長略歴


 玄門太極武藝館は、1994年の創立以来20年という大きな節目を迎えています。
 先ずは日頃より私たちの活動を支え、励まし、ご協力を頂いている門内外の多くの皆様に心からの感謝を
申し上げます。
 また、私たちが太極拳という高度な武術を追求し研究する姿勢に共感され、入門して稽古に励まれ、今日の太極武藝館を共に築き上げて頂いた門人の方々に対しても深く感謝を申し上げます。

 元々、私は武術を人に教えるつもりは無く、道場を持つつもりも毛頭ありませんでした。
 武藝を追求する道とは本来孤独なものであり、人知れず修練を積み研究を重ねてこそ、その真諦が観えるように
なるのだと、今でも私はそう思っております。
 その私が現在のような大所帯を率いることになるとは、全く思いもよらないことでした。

 私が武術を追求してきた理由はただひとつ、強くなりたかったからです。
 幼い頃から病弱で、気力も体力も同級生に遥かに劣る、そんな弱い自分を何とかしたい・・
 男として、相手にケンカで負けて支配されることほど屈辱はありません。何者にも負けない、何事にも屈しない、
疾風にもへし折れることのない勁草のような、不撓不屈の人間になりたいと、私は本気で思うようになりました。

 そんな私が武術と出会ったのは、父の驚異的な武術の技を目にした時でした。
 父は教育家でしたが、戦後、敗戦の痛手から未だ立ち直れない日本人に我が物顔で暴行を働く三国人たちに独りで
立ち向かい、神戸の三宮駅の構内で三十人ほどの暴漢を相手に、ほぼ全員を病院送りにしたエピソードを持つような
武人でもありました。しかし幼い私はまだそんな事も知らず、父をごく普通の人であると思っていました。
 ある日のこと、わが家を尋ねてきた少々人相の悪い数名の客が玄関で父親と口論になって、その中の威勢の良い
一人の男が、正座をしている父に詰め寄って脅そうとしているところを、ちょうど小学校から帰ってきた私が目撃することになった事があります。
 わが家の玄関の上がり框は二段になっていて、子供にしてはかなりの高さがありましたが、そこに土足のまま足を掛け、声を荒立てて父の胸ぐらを掴んでいる男の姿が見えました。しかし次の瞬間、突然奇妙な声をあげて、その男は玄関の扉の外までフワリと吹っ飛んでいったのです。
 男は、玄関の外にあったサルスベリの樹に体を強く打ち付け、グウと呻ったまま立ち上がれません。
しかし父は玄関に座ったまま、ただニコニコと笑っているだけです。
 他の男たちは、それを見て顔色を変え、急に態度を改め、大変失礼を致しましたと言い遺して、樹の下で伸びている仲間を担いで、すごすごと帰って行きました。

 私はそれを扉の陰から見ていて、大変なショックを受けました。
 あのようなチカラがこの世に存在するのかと、幼いながらに大きな感銘を受けたのです。
 なぜ父がそんなチカラを得ていたのか、その謎は少し大きくなってから母や兄に聞いて知ることになったのですが、
祖父が台湾総督府に赴任していた関係で父も幼少時を台湾で過ごし、その時代に内家拳という中国武術を学び、
日本に帰ってからも神戸に滞在していた本部朝基という武術家に師事して沖縄唐手を学び、海軍柔道では五段の腕前であったということでした。
 その父も私が中学に入る前に亡くなりました。私が本格的に武術を追求するようになったのは、ちょうどその頃からです。私は今でも、父を最初の武術の師として尊敬しております。

 太極武藝館は、信州の北の外れにある、標高800メートルの雪深い寒村で誕生しました。
 神奈川県の鎌倉で店舗を経営していた私は、やがて自分の人生がその様なところには無いことを徐々に確信するようになり、すべてを捨てて信州に移り住む決心をしたのです。
 柱の直径が一尺ほどもある、築150年の茅葺きの農家を買い取り、荒れ果てた畑を耕し直して、昔ながらに肥を汲み、一年のうち半年間を五尺以上の豪雪と戦う雪かきの重労働に追われながら、下手な俳句をひねり、詩を書き、映画の作曲をし、茶室を整備して茶の湯の真似事に興じ、幼い頃から縁のあった禅と瞑想に没頭しつつ、自己を観照することに専心するようになっておりました。

 本物の太極拳を世に遺して行く意義を感じ始めたのは、それから数年が経ってからのことです。
 誰に聞いたのか村役場の人が尋ねて来て、近ごろ流行りの太極拳をこの村で教えて貰えないかと依頼され、楽しみのつもりで簡易な架式を教え始めたところ、わずか数回目で生徒が80人に増えてしまい、図らずもあらためて太極拳の魅力を再認識させられたものでした。
 今回、創立二十周年記念式典にオーストラリアから参加した Verginia Page 支局長も、その時に太極拳を習いに来たひとりであり、その後本格的に入門して修練を積み、拝師正式弟子となりました。

 やがて、徐々に太極拳の指導を乞う人たちが増え続け、いよいよ太極武藝館を創立する日がやって来ました。始めはわずか数人の門人だけでしたが、現在では日本の北から南まで、そしてはるばる外国からも入門希望者が訪ねて来るようになり、何の宣伝もせず、ホームページとブログ以外には何も情報が無いはずの私たちのところに、かくも多くの人たちが大きな共感を以て来て下さることを、本当に有り難いことであると感謝しております。

 私の役割は、科学として、学問として確立された太極拳を世に遺すことであり、またそれが如何に優れた武術であるかを実際に証明できるようにすることです。
 陳金老師は太極拳とは「纏絲之法」であると仰いました。拙いものではありますが、約四十年にわたって研究を重ねた結果、私はようやく纏絲勁の原理構造の根本メカニズムを科学的・物理的に解明することができたと確信できるようになりました。
 今後は尚一層の研究に邁進し、その内容を大切に後世に遺して行ってくれる門人に研究の成果の総てを正しく伝承することこそ、私の使命であると思っております。
 創立二十周年にあたり、貴重なご縁を頂戴した多くの皆さまに心からの感謝を申し上げます。
 どうか今後とも、変わらぬご指導とご支援を賜りますようお願い致します。



平成26年11月23日 

日本玄門 創立二十周年記念式典の日に

玄門太極拳學研究會 太極武藝館

館長  円 山  洋 玄

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