太極武藝館


門下生の声


松久 悠司

 Yuji Matsuhisa
拳學研究會所属
1976年 愛媛県生れ
2004年7月 入門
空手道(総合格闘技系)6年、合気道、杖道、
居合、長刀(なぎなた)、銃剣道など、数々の武術を遍歴。学生時代に出場した空手の試合では数多くの好成績を残している。



 ありえない・・・!!
その出逢いは、衝撃であり、崩壊であり、昂揚した渾沌でした。
なぜ崩せるのか?・・なぜ返せるのか?・・・
見えない・・・分からない・・・
けれども、それが紛れもない「武」の働きであること・・・!
私の常識、私の理性では届かない世界の衝撃・・・
届かない私の世界の崩壊・・・。

 理性は“有り得ない”と否定します。
しかし身体の熱さが、自ずとその世界に魅せられた昂揚を私に伝えていました。
そんな渾沌の中、ただ己の直観を信じ、この道を歩む決心となりました。

 私が「武」というものに関わりを持ったのは、大学に入学して総合格闘技に出逢った事が始まりになります。人並み以上に強さへの憧れが強かった私にとって、「強さ」の原型とは、如何なる相手、如何なる状況でも自身を全うできるという概念でした。
 そこで最も自由度が高い(・・・と思われた)総合格闘技こそ、その座への最短距離に違いないと信じ、大学時代の6年間、その体系の中で強さを模索し、工夫し、追及しました。

 確かに、試合に出て勝つことも増えてくると、いささかなりは強いとの自負も持つようになりました。しかし、何時からか、妙に醒めた自分を感じるようになりました。
 身長160cm、体重60kg足らずの私です。相手の膂力に押し負ける時、相手の体格に押し潰される時、否応無く自らの弱さを感じざるを得ません。「強さ」を求めてこの道を進むほど、明確になる事は、「弱さ」あるいは「限界」でした。
 向上するほど、現実を知るほど、理想との隔たりは大きくなるようでした。現実の厳しさは、観念を形にするなど所詮は夢と告げるようでした。

 また、格闘技を学ぶ中で強く不満を持った点は、武器を扱う体系が無かった事です。
如何に素手の相手を制する技術があっても、一本のナイフを手にした素人に遅れを取るのでは、その甲斐がありません。大学卒業後は、この「武器」というテーマを追求しようと、居合や杖術といった古流の武器術に取り組み始めました。
 この、武器を使うという世界では、自分の身体が如何に動かないかを痛感する日々となりました。素手では誤魔化せたものも、武器でははっきりと浮き上がってしまい、どうにも締まりません。動かない、使えない、何故?・・・と、また異なる疑問が湧き上がりました。

 そもそも古人は、武芸十八般の様々の得物に通暁していたと聞きます。それら全てが別のものとして修められたとはとても思えず、根幹となる働きが有って、そこから分化した表現と考えるほうが自然です。
 だとすれば、動かぬ私の身体には、その根が無いのです。動きの中の働きが無いのです。型だけで中身が無いのです。
 しかし、如何にして中身を満たす事ができるのか分からない・・・。

 そんな暗中模索の中、不意打ちのように光に出逢いました。その光は前述の如く、まさに一閃、私の世界を穿ち、道を拓きました。
これが太極武藝館、そして、円山洋玄師父との出逢いです。

 多少の武術をかじってきた私ですが、ここまで原理の追求に真摯な道場は初めての経験でした。 
 私がこれまで学んできた動きは、攻防の動作に終始していて、その基となるものへの追求は明確ではありませんでした。打ったり打たれたり、勝ったり負けたりの繰り返しで、例えるなら、山に登るのではなく、山の周りを巡るイメージでしょうか。
 歩めども、その頂には近づけないもどかしい感覚です。しかも、その山の頂に至るには様々の障害があり、中には届かなければ命に関わるような難所もあります。 

 例えば、刃物を相手に打ったり打たれたりは有り得ません。素手では永らえられても、刃物相手では致命傷になり得ます。大きな相手には負け、力のある相手には負け、武器が相手では負け、複数が相手では負けてしまうものが「武」と言えるのでしょうか。
 如何なる状況でも己を全うする「術の世界」こそ、武術の本義とする所であり、なればこそ山には登り続ける事が出来なくてはならないと思います。そのような意味でも、この太極武藝館には、今まで行けなかった先への道があると、眼前の開ける昂ぶりを感じました。

 師父の門下で学び始め、強く心に残った想いを一言で述べるなら、『綺麗な構造』という衝撃、ということになるでしょうか。
 まず理論があり、その働きを体現する為の様々な練功法と要訣、そして何よりも、その理論を身でもって表すことのできる師の存在。その無駄の無い、紛れの無い理論と、その現われである「動き」と「はたらき」は、驚愕を通り越し、ただひたすら“綺麗”だと感じられます。

 師父の動き、形には紛れ(乱れ)がありません。
その姿は、まるで空間に表現された書のようで、輪郭が際立って明確です。
動く書・・それも、その表すところの意を十全に表現した、達筆な書が空間に躍動するようなイメージでしょうか。
 そんな『綺麗な構造』に討たれた今では、即物的な強さの追求より、この身にその構造を刻みたい。そんな方向性を強く感じ始めています。

 今の私には、そのような緻密で繊細な構造が有りません。
悲しくも、鈍く、重く、遅く、固い身体が有るだけです。
 正直申しますと、現状では自分がそのように成るイメージはまったくありません。
まず、私に目が無いために、師父の動きが見えません。記憶に残りません。
よって、取ることが出来ない・・・
 そして、私の身体には要求される動きの記憶がありません。
無いものを使うことなど、そもそも道理に適わぬことです。
 ただ、無いものは作れば良いのだと楽天はしています。有るも無いも認識はしたのですから、近づく為には、ただその道を歩むのみ、と念じています。

 入門を決意した時の自分を想うと、人間は、惹かれ、魅せられたものからは離れ難いということを強く感じます。惹かれ、魅せられるという方向性こそがその人の本質であり、本質を離れては生の実感は薄まるのだと。
 ただ、今言えるのは、曾て「成らぬ」と挫けた私の世界と、今、「ただ歩むのみ」という私の世界はまったく違っている、ということでしょうか。


 このようなご縁を得られたことは、まさに天佑と言う他ありません。
まさに、必要としたその時に師を得る事ができたという機縁には、いにしえに言うところの“天のはたらき”さえ感じられてしまうほどです。
 この出逢いによって、私の身体、私の構造、私の世界は変わっていくと直観しています。
その変化が、今はとても楽しみです。


(了)

[Topへ]


Copyright (C) 2004-2010 Taikyoku Bugeikan. All rights reserved.