太極武藝館


門下生


内山 能律子

 Noriko Uchiyama
武藝クラス所属
太極武藝館 事務局長 
1961年 静岡県生れ
1998年 入門



 つい最近まで、つまり、この道場に入門するまでは「武徳」などという言葉を聞けば、それだけである種の堅苦しさや、大昔の精神論、別世界のしきたりや習慣を想ったに違いないのだが、縁あってこの「太極武藝館」に足を踏み入れて数年が経ち、ようやくその言葉の意味するところが感じられてきた。

 太極武藝館では、道場とは、取りも直さず「非日常を体験する場」であり、決して「私」を持ち込むことのできない場として臨まなければならないことを、常日頃の稽古において、洋玄師父より繰り返し戒められる。

 そして、初心者や一般弟子には、我々がつい道場にまで持ち込んでしまった俗世間のしがらみや、それゆえの不理解を、そのつど、噛んで含めるように教え、時には厳しく、また毎度のユーモアと笑いの渦の中ですっかり寛ろがされながら、実に明解に、丹念に諭されていく。

 正式弟子やその候補に挙げられている人たちには、我々一般門人よりもさらに厳しく自己を見つめることの重要性が説かれ、彼らの技法習得における追求の甘さや、拳学に対する理解の遠く及ばないことの原因が、稽古時間の多寡や理解力の不足、年齢や環境などにあるのではなく、実は彼ら自身の、現在の「精神状態」にあることが、そのつど、分かりやすく説かれていく。

 それは一般稽古の最中にも起こるので、私たちも自然に耳を傾け、いつのまにか皆、稽古の動きを休めて師父に向き直り、誰もが我が事のように姿勢を正してその言葉に聞き入る。

 師父が説かれる精神状態や精神性は、誰もが思い当たる例えや、ユーモアあふれるアナロジー(類推)で、
実に分かりやすく語られていく。

 その「生(ナマ)」の講話が終わると、その言葉が向けられていた人だけではなく、道場に居る皆が自然に「ありがとうございました」と師父に礼をし、再びそれぞれの稽古に、気持ちを新たにして戻っていく。

 ある門下生は、このような師父の即興の講話を「心の財産が毎日増えていくようだ」と表現している。
 また、ある門下生は、師父との出会いを「本当に有り難い」、つまり、文字通り滅多に有り得ない、感謝に堪えないことであると説明し、またある弟子は、師父との出会いによって、これまでの生活や家庭環境までが大きく変化向上し、「このご恩をどうお返ししたらよいのか」「本当に運が良いとしか言いようがない」と、口を開くたびに門人たちに語っている。

 ここの道場の雰囲気は楽しいが、その規律は厳しい。
 その厳しさは、5歳から60歳までの数十名の門人に対し、まったく分け隔てなく向けられている。
 例えば、稽古に遅れて来た者は、「蹲居(そんきょ)」して壁に向かい、その場の責任者の許可が下りるまでは、5分でも10分でも、いつまでもそのままの姿勢で待っていなければならない。
 新入門者は、入門時に本気で武藝に取り組むことなどを掲げた誓約書にサインをし、経済的な事情の許す者であれば月謝を3か月分先払いで納入する。
 したがって、近頃流行の「女性は月謝3割引」など、ここでは間違っても有り得ない。
この道場では、月謝とは単に指導への謝礼ではなく、自らの成長のために投資する、己に支払う教育費なのだ。

 稽古の前後には雑巾がけから窓磨き、便所、下駄箱に至るまでを老若男女・先輩後輩を問わず、全員で清掃し、年に2回は大掃除もあって、純粋に自分たちが成長するのための稽古場であることを認識させられる。
 礼儀作法も、稽古開始と終了の時には、そこに居合わせた全員が全員に対して、つまり、30人居れば30回、きちんと「軸」を合わせて「お願いします」や「有り難うございました」と、包拳礼(右拳を左掌で包む中国拳術の礼式)を繰り返す。稽古中も対練などで、いったい何度「礼」をし合うだろうか。ここでは、まるで茶道などで「礼法」を学ぶように、それが行われているのだ。

 「礼」をすることは難しい。
 この道場では礼をする時、かなり「気」と「軸」を立てていなければならない。
それが軸の合わないもの、武術的に「隙」が見られるもの、相手に伝わらないカタチだけのものであれば、たとえ5歳の門人であろうと、厳しく指摘され、その場で正される。

 また、広さが七十畳ほどもある道場の内装も、ほとんど師父と門下生が自分たちの手によって造った。師父は「ハハハ、私はお金が無いからねぇ」とアッサリ笑って仰るが、こんな道場は珍しいのではないか。
 他の道場から来た人たちは、皆一様に、まずここの道場の美しさや清々しさに驚き、それが師父と門下生の手造りになるものと聞いて、再び驚く。

 この道場を入手した当初はコンクリート打ち放しのままであった所に、床にカーペットを何十メートルも敷きつめ、飛ばされた人が当たっても壊れない丈夫なパネル材で壁を張り、天井や柱は、実際にプロの塗装屋さんが見て驚いたほどの仕上がりで、天井だけでも70畳ある面積に見事にペンキが塗られた。
 また近頃は、対練や散手の時に飛ばされて怪我をする恐れが出て来たので、安全のために、床にはさらに厚さ2センチのマットが敷かれ、柱の周りにも同じ厚さのクッションが取り付けられた。
 書いてしまえばただこれだけの事だが、内装やペンキの職人ではないごく普通の素人たちが、これだけのボリュームの仕事を日曜大工で仕上げるのは、決して並大抵のことではない。
 師父も、ペンキまみれ、シンナーの臭いとホコリにまみれながら、猛烈な暑さと湿度の中、門下生と一緒に汗だくになりながら、喜々としてこの仕事に取り組まれた。また、余談ではあるが、天井をペンキ塗りした時、我々は上から下までペンキまみれになったが、師父はまったくと言って良いほど、衣服にペンキを浴びていなかったのには皆驚かされた。

 門下生は、このような手作りの道場で稽古を重ねることによって、ようやく様々な姿をした「未知なる自分自身」に気が付きはじめる。
 たとえば、私たちがどうしようもない「日常」にとっぷりと浸かっているゆえの視野の狭さや、世俗の波の中で「自己」を懸命に主張していたこと、或いは、それゆえに生じた悩みや歪みに何一つ整理がつかず、それを分からぬままに放置していたのだ、ということを思い知らされる。そして、道場という「非日常」の場において、たとえ凡夫の年齢を幾つ重ねていても、此処で全く新しい自己を新しく実現していくことができるのだという事を知らされるのである。

 「武徳」とは、本来、武藝を修練するための基本的な精神性や、武藝を修練することによって養われた人間性を指すものであろう。
 そして、その「武徳」が養われなければ、本物を十全に学び取ることも有り得ない。
武藝に限らず、「本物を学ぶこと」に係わる修練にあっては、学ぶ側の、凡庸な人間性の改革なしには、修行も、その成就も、全く考えられないからである。

 しかし、戦後の混乱から一転して奇跡の高度経済成長に突入し、挙げ句の果てに信仰心も宗教性も、民族意識も、国際意識も、太陽系の一惑星に生息する一生命であることも、何もかも忘れ、サラリーマンも、百姓も、土方も、政治家も、武術家も、一億総中産階級を目指して、ただひたすら金のため、便利な文化生活のため、外国人からハタラキバチと言われ、エコノミックアニマルと蔑まれても、家内安全と出世街道を邁進するためだけに働き続けた結果、「人間性」などという言葉など、家庭や学校でさえ遠に忘れられ、文化も矜持も失われてしまったかのように見えるこの日本で、堂々と、まったくの損得抜きで、本物の「武徳」を門人に説ける人間が、そのような武術家が、指導者が、果たしてどれだけ存在するだろうか。


 今日もまた、道場では正式弟子のための厳しい稽古が行なわれている。
伝承者であり、指導者でもある師父に、休日など無いのだ。

 そして、稽古とは即ち「真剣勝負」であり、人の交わりは「今・此処」の一期一会でしかない、と常々師父が仰るとおり、毎日の稽古は、今回で最後であるかのように熱が入ったものであり、この道場を小宇宙とし、稽古を人生の縮図とした、人間対人間の、教える側と学ぶ側の、まさに真剣勝負のように厳しく緊迫した、しかし、限りなく安寧と楽しさに満ちた、実に活き活きとした稽古が続けられている。

 学ぶ者は、ここで、その凡庸さや怠慢さを完膚なきまでに打ちのめされ、自己流の都合の良い考え方や、人生への取り組み方の甘さを的確に指摘され、幾度も、幾度も、日々毎瞬に心を新たにして、初心者のように真新しく稽古に励むことを余儀なくされている。
 その結果、彼らは「本物」を学び取るための、それに相応しい「学ぶ側」の人間性を、徐々に養いつつあるように見える。

 この道場から、やがて優れた武術家たちが誕生するであろうことは、もはや誰の目にも明らかなことであり、その日は、きっと、そう遠くない。
 そして、彼らが「教える立場」となって、さらに多くの優れた武術家が誕生する時、初めて太極拳の真価やこの道場の存在意義が、多くの人々に、あらたに理解されるに違いない。

 その日を想いながら、今日も私たちは師父のことばに耳を傾け、文字通り骨身を削って指導されつづける「太極」・・・この大宇宙を、「いま」「ここ」で、全身全霊で感じ取ろうとするのだ。

(了)

(2004年8月寄稿)

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