太極武藝館




太極拳はどう戦うのか第三回
太極武藝館 館長 円 山 洋 玄


「戦い方」は、基本功にある


 太極拳の「戦い方」は、何も特別なものではない。
それは基本功や套路で練られるところのもの、そのものであり、それ以外の何ものでもない。
 太極拳では、独自の身体構造から生み出される、「纏絲勁」や「太極勁」と呼ばれるものの練功自体がそのまま戦い方の基本となっており、そこから離れた「戦い方」など、何ひとつ存在していない。

 太極拳を学ぶ事とは、当初から「纏絲の法」や「太極勁」を学んでいくという事に他ならない。
そして、それ自体がすでに「戦い方」である故に、ことさら套路の実戦用法や推手の応用技法などを学ぶ必要もない。太極拳の基本功の内容は「武術の構造」そのものであり、正しい学習さえしていれば、初歩の段階から「太極拳で戦える」ことになる。

 『太極十年不出門』という言葉があるが、これは決して入門後十年は門外に出て実戦試合が出来るレベルにならないという意味ではない。また、『南拳などは革命戦士を養成する必要上、短期速成の学習体系を有するが、太極拳は長い年月を掛けねば習得できない』などという論も度々語られてきたが、これもまた太極拳への誤解に過ぎない。

 太極拳は基本がすでに「戦い方」であるので、正しく基本を学び戦うための訓練さえすれば、十年どころか三年もあれば取り敢えずは戦士として闘えるようになる。つまり、一般的な拳術や日本の空手などと比べても何ら大きな差異はない。
 どのような武術にあっても「基本」は即ち「戦闘法」のはずであり、また拳理の深みに至るには何れの武術でも十年程度では足りず、最低でも二、三十年を要するのは必定であって、それは何も太極拳に限ったことではないのである。

 大体、いつ何どき侵略者が大挙して攻め入るかも知れぬような戦乱の世に、トウモロコシ畑の傍らでのんびりと十年も二十年も拳を練らなければ実際の戦闘に使えないようなものが、高度な武術文化として何百年も存続するわけがないではないか。
 それは今日隆盛を見せる、文革に端を発する一見平和な社会の中での套路偏重のムードから来る錯覚であって、乱世を生き抜くために、正に一族の存亡を掛けて日々弛まず工夫と研鑽を重ねる必要があった本来の「武術」の訓練法とは根本から異なるものである。

 もちろん「戦い方」に関する秘伝は在る。しかし私たちにとって「秘伝」とは、伝書にも記されることなく秘匿され続けてきた拳理拳学の深奥に関わる伝承という意味であって、劇的な勝利を約束する超常的な技法や、雑誌などで華やかに特集されるような秘技絶招のことではない。
 太極拳の秘伝とは、非日常的な武術原理で緻密に構成された「基本功」に他ならない。
 無論、「戦い方」に関わる高度な秘伝は存在するが、私たちが所有している秘伝=秘密伝承の大部分は、取りも直さず基本功に秘められた武功原理の奥妙に関わるものである。

 太極拳における基本の訓練は、本来どれひとつを取っても、全てが実際の戦闘のために、つまり「如何に戦うか」という事のためだけに存在しており、基本における身体操作の原理法則が、そのまま戦闘のための法則となっている。それは本来どの武術にも共通しているはずであって、殊更あらためて言うべきことでもないのだろうが、このことは現代に於ける「武術としての太極拳」を語るときに、決して避けては通れぬ問題になっていると思う。

 本家・河南省陳家溝で行われている、一見激しくは見えても、「張り手やカチアゲが禁止された相撲」や「足払いと掴みと関節技が禁止された柔道」の如きルールで行われている太極拳の推手試合については、既にこのホームページで思うところを述べた。
 また、かつて或る日本の散手大会に於いても、まるでムエタイやフルコン空手に見え兼ねないような、戦うスタイルの中に伝統武術としての「基本」が著しく欠如した太極拳が多く登場するのを間近に観て随分失望させられたことがあった。
 強いか弱いか、などという話ではない。あれから十余年、太極拳の「戦い方」は、そのような試合の場でどのように用いられ、如何なる様相を見せるようになったのだろうか。

 今日、太極拳は世界中に愛好の広がりを見せ、多くの人たちがその学習に励んでいる。世界の太極拳人口は八千万人とも一億人とも言われているが、その愛好者の殆どは、本来の武術性とは無関係の、健身のための体操か表演競技のために作られた太極拳を学んでいる。
 文化大革命後の政府の方針で、皮肉にも本来の意味である闘争術としての「武術」を示す「ウーシュー」という同じ言葉がその新興スポーツ競技の呼称として与えられ、点数制の套路競技や推手競技として国際的な発展を遂げてきた。一般には太極拳と言えば健康体操か、その武術(Wushu)と言う名の表演や推手の競技であるというイメージが確立されてきたのである。
 また、80年代後半からは套路競技での優劣を判定する便宜を図るために、伝統の套路とは異なる競技のための専用の套路が新たに作られるまでになった。そこには、各々の門派ごとに作られた「競賽(競技)套路」と並んで、様々な門派の技法を一絡げにして作った「総合太極拳」という套路まで存在している。
 なお、日本ではその競技用の武術(ウーシュー)のことを「武術太極拳(ぶじゅつたいきょくけん)」と称しており、それを文字通り、本来の意味での武術としての太極拳であると信じて、それらの教室に入会する人もいまだに後を絶たないと聞く。

 勿論、伝統武術そのものを伝承する各家の伝人たちは、本来の武術としての太極拳を大切に継承保存しているのであろうが、近ごろではそのような「家元」と言うべき立場の人たちまでもが、共産党政府の指導とそれに因由する時代の流れに迎合するかのように、表演競技を盛んに行うようになってきている。
 このような時代に、健康体操でもなければ表演競技でもない、本来の意味での「武術」としての太極拳、すなわち、戦乱の世を生き抜く為の先人たちの叡智の集大成である、肝心カナメの武術としての「戦い方」は、果たして正しく伝えられ、正しく継承されているのであろうか。
 切にそれを案じ、伝統武術の存続に危機を感じているのは、決して私だけではないと思う。

 私は、太極拳がそのような表演形式で愛好されていること自体を、決して否定するつもりはない。
 近年における表演競技の流行は、伝統太極拳に似たスタイルを借りて演じられる体操として観れば、それはそれで優美であるかもしれず、ある意味では健身にも役立つところの、時代に適った運動法であるのかも知れない。
 太極拳の歴史や文革以来の政治的背景や経緯を知らず、また、それが本来は高度な武藝であり闘争術であることさえよく知らずに愛好している人も多い状況の中で、指導されるままに表演競技用の套路の形を繰り返し、その中で「上達」していくことを楽しみとしている人たちには元より何の非もあろうはずがないし、太極拳の学習が各々の人生に適ってそれなりに役立っているのであれば、それはそれとして真に結構なことだと思える。
 しかし私は、そのような西洋式の体操や何かの舞踊とまでに見紛う、そこに本来の武術性を見出せないような運動が、中国政府の政策によって同じ「太極拳」という歴史ある名を冠されて呼ばれ、同じ「武術」として同列に扱われ、同じ次元で拳理の深みを説いて論じられていることについては、大いに疑問を覚える。

 太極拳は、本来、誰かに「見せる」ための動きではない。
 太極拳に限らず、武術それ自体が誰かに見せるための目的で存在したようなことはかつて一度も無かった。武術とは本来、その動きを敵に「見せたくないもの」であり、それを外部から見ようとしても「見えるものではない」からこそ武術と呼べるのであって、誰の眼にも容易に見えるものを見せ合い、敢えてそれを評価し楽しもうとするようなものが「武術」である筈がないのである。

 武術、すなわち武功技藝の術理とは、本来「見えざるもの」に他ならない。
 その術理が「見えざるもの」であるが故に修得することが斯くも困難であり、またそうであるにも拘わらず修行者が敢えて永い歳月を費やしてそれを修めようとするのは、それがひたすら「見えざる性質」を持つもの、つまり、実際の戦闘に際して敵に容易に感知されず、確実に吾が身を守り、確実に敵を屠ることのできる、真に武術として通用するものであるが故であって、太極拳はそのような優れた武術性・実戦性ゆえに、数百年の時間を独自の高度な「武術」として君臨し得たのである。

 その、本来「見えざるもの・見せたくないもの」を、あたかも「見えるもの・見せるもの」であるかのように変革し続けることが、どれほど高度な武術文化、武功藝術文化にとってマイナスであるか、どれほどその進歩を阻害し衰退させ、その発展を妨げるかを、伝承者や本物の武術を志す者はもっと正しく認識していくべきであろう。


中国六十年


 かつて太極拳を生み、育んだ土壌・・現在の中華人民共和国は、1949年以来、六十年間に亘って共産党政権による一党独裁の政治を続けている。
 誰が国家主席になろうと、人民日報が報じた「団結友誼和平絵巻」・・つまり国際社会から見たところの「難癖だらけの北京オリンピック」を無理矢理やってしまおうと、中国の全体主義国家としての政治体制は、五星紅旗や、未だに人民元の紙幣を飾る毛沢東の如く殆ど何も変わってはいないし、今後もそう簡単に変わる気配もない。
 その「変わっていない」ことを、私たちは決して忘れてはならないと思う。
 中国武術を伝承する者、愛好する者は、かつてその同じ政治体制の中で、武術家をはじめ、知識人、芸術家、文化人たちがどのような目に逢ってきたのか、その同じ政治体制が現在どのように営まれているかを深く心に留めておくべきであろう。
 現在の中国について語るべきことは山ほどあるが、この稿のテーマから外れる嫌いがあるので、中国の問題に関しては改めて他で詳しく述べる機会を持ちたい。

 心に留め置くべきもうひとつのことは、その中国の政策に、常に太極拳が利用されてきたことである。
 中国は「全体主義+中華思想」という明確な政治方針を持っているが、太極拳の存在は、その国家の対外的なひとつの顔、つまりパンダのように平和友好的な外面(そとづら)のひとつとして長い間利用され続け、神秘の気が身体を巡る「手軽な健身運動」として、老若男女の別なく楽しめる「典雅なスポーツ競技」として、国家を挙げて世界中に広められてきたという一面を持つ。

 全体主義と中華思想を前面に出せば世界中から毛嫌いされ総スカンを食らうことは必至だが、かつての中国に存在した文化の深さや、西洋人が憧憬する東洋の神秘を強調して行けば、人々は先ずそこに惹かれ、徐々に中国それ自体を容認するようになる・・などという思惑であろうか。
 その政策からは、国家がご丁寧に細部に手を入れて編集した武術(ウーシュー)太極拳のみならず、伝統武術を継承する正統な太極拳門派に対しても、同じ思惑によるコントロールが及んでいる。

 しかし、あくまでも太極拳の武術性を廃し、スポーツ舞踊のように推進する必要があるのであれば、せめて先ずはそれを「太極運動」とか「新人民体操」とでも名称を改め、深遠なる伝統武藝文化とは全く別のものとして分類しなければならない。貴重な歴史的・武術的文化遺産である太極拳の「拳」や「武」の名を冠したままそれらを同次元に扱うことは、それこそ毛沢東以来、懲りずに改まることのない「重大な誤り」のひとつであろう。

 そのような名ばかりの「武術」は、枯れた芝生も緑のペンキを塗れば青々として見えるという、彼ら独自の発想で扱われているのだろうか。しかし、白い馬に縞のペイントを施しても決してシマウマにはならないように、体操はどのように演じても体操でしかなく、目に見える武術の外側だけを西洋的な運動原理で代用しても、それが深遠なる伝統武術と同じものに成り得るはずもない。
 文革以来の中国が、常に反共革命や反政府勢力の武力高揚を怖れ、武術家の魂を骨抜きにし、徹底的に武術文化を根絶やしにする目的のために作られた政策の果てとは言え、形骸化され、お仕着せの体操を余儀なくされ、手を交差して人を押し崩すばかりのゲームを余儀なくされている「太極拳」は、何とも哀しいものに思える。

 そしてその政策は、文革後六十年を経た現在でも、密かに、そして強かに継続推進されている。
 序でながら、政治目的で骨抜きにしようとしている矛先は何も「武術」に限ったことではないし、彼の国の「内部」だけに限られたことでもない。彼らの百年単位の周到な計画を見抜けず、相も変わらず自分の国の文化や歴史さえ否定しつつ、中国に媚を売り、ご機嫌を取り続ける政治家たちが幅を効かせているのは、哀しい哉、国際社会では日本くらいのものであろう。


 ともあれ、「武術」は見せ物でもなければ、スポーツ競技でもない。
伝統武術と、武術のスタイルを借りた表演運動とは、厳密に分類されなくてはならない。
それらふたつのものは、文化も、拳を練る目的も、内容も、全く異なっているのである。

 中国共産党政府は、武術(Wushu)をオリンピックの正式競技への参入に向けて盛んに世界にアピールし、IOCが呆れ返るほど強引な働きかけをして北京五輪で異例の《 特別競技 》として紹介されたが、昨年秋に報じられた『東方今報』によれば、「天下の武術、皆少林より出ず」とまで謳われる、彼の国が誇る少林寺では、『少林武術はスポーツに非ず』という理由により、開会式以外の北京オリンピックへの表演参加を明確に拒否していたという。
 少林寺では『少林寺の武術は優れた文化遺産であり、禅の精神文化と武術文化の一体化を重視している。オリンピックのスポーツ競技とは全く概念が異なる』と、一貫して表明している。
 まことに立派な態度であると思う。

 余談ながら、私のイギリスやオーストラリアの門人や友人たちは、自分たちが学んでいるものは、
"Tai-Ji Quan" 或いは "Tai-JI Martial Art" と呼び、文革以来の表演太極拳や健康体操の類は "Tai-Chi" とか、"Tai-Chi Movement” などと自主的に呼び習わしており、本来「Tai-Ji」と書くものを「Tai-Chi」とスペルまで換えて、きちんと区別して用いている。


基本訓練と異なる「戦い方」の怪


 かつて大陸から沖縄に渡った中国武術から発展してきた「唐手(とうでー)」は、大正五年(1916年)、文部省主催の「古武道体育博覧会」で船越義珍によって本土に紹介されて以来、特に戦後に至っては自衛武術としての意味合いよりも競技スポーツとしての傾向が強まり、柔道や剣道がスポーツとして普及する中で、その時流に合わせるように競技として益々中身が改変され、その名称も「空手(からて)」と変えられ、競技スポーツとして世界中に普及してきた。
 しかし、本家本元の沖縄唐手とそれらの競技空手とでは「基本稽古」の中身が著しく異なっており、刻々と変容していく本土の現代空手はその後本家沖縄に逆輸入されるようになり、本来の唐手の「奥義」が本土の空手によって否定されるような現象さえ見られるようになったと言う。

 直接打撃制、いわゆる「フルコン空手」のスタイルを例に挙げれば、その基本中の基本と言える「正拳中段突き」では、伝統空手と同様に、三戦立ちや騎馬立ちなどで腰や脇から拳を打ち出し、前屈立ちで追い突きの練習をしているが、いざ自由組手となると、突然ボクシングのようなフットワークを用い、ムエタイのように頭部をガードするポジションなどからパンチを繰り出している。
 ならば基本練習もムエタイのそれに類似したものになっても良さそうなものだが、そのようなものは何処にも見当たらず、空手と言うよりは、むしろ和製キックボクシングのアマチュア部門という感さえある。
 私は、かつて本場のムエタイ・ジムで基本練習を実際に目にした際、太極拳の歩法訓練と共通点が多いことに大いに驚かされたことがあるが、実際には膝蹴りひとつを取っても、フルコン空手とムエタイのそれとは武術原理が全く異なっている筈である。

 闘争術としての強さの問題ではない。もしそのようなスタイルが空手本来の「戦い方」であるとすれば、あの三戦立ちや騎馬立ちの「基本練習」には一体どのような意味があったのかと、たいへん不思議な気持ちになる。
 それらの基本訓練で養われる空手の構造や戦闘法には、元々ボクシングのフットワークに繋がるものなど何ひとつ存在していない。西洋式の運動理論を以てピョンピョンとステップを踏み、如何にして高速の突きを放ち、落下と推進、蹴り出しと踏み込みと遠心力でどれほど大きなエネルギーを生み出すか・・などと言うこと以前に、「空手」という名を冠する以上は、先ずは空手本来の三戦立ちや騎馬立ちといった優れた「武術構造」の奥深いメカニズムが研究され、それによって生み出される武術的な動きや早さこそが追求されるべきではないのだろうかと、部外者ながら思う次第である。

 今日、実戦を標榜する空手系格闘技の多くは、ムエタイを基本としたスタイルでの戦いになっているが、ムエタイ風の脛によるローキックや足の甲で上段回し蹴りをするようなものなどは、昔日の空手には存在しなかった。いや、回し蹴りそのものさえ嘗ての沖縄の「唐手」には無かったと聞いている。
 また、そもそもボクシングやムエタイのパンチやキックは、投げ技から寝技に至る過程には用いようがない身体操作で構成されている筈であるが、それらを伝統武術にミックスして訓練する門派などもあり、中には昨日まで空手着を着けていた道場が、今日からはリングを造って門人にムエタイのパンツを穿かせ、明日からはついでに流行りの柔術も始めようか、などというものまで存在するという。

 そのような発想は、個人の趣味や門派会派の経営方針の問題であり、古来の武術が「現代格闘技」として進化成長したものであるとしたり、自門が栄え、強ければそれで良い、とするのであればそれまでのことであって、太極拳の一学生に過ぎぬ吾が身が、兎角それらに一々批判をするつもりもない。
 しかし、もしそれらが正しく「武術」や「空手」と呼ばれるべきものであるのなら、そこには先ず「武術としての学習体系」が正しく確立されていなくてはならず、それらがその学習体系に則った訓練法として学習者に正しく教示することが出来ねばならないはずだと思うのである。

 例えば、自流の蹴りが本来の空手のように中足で蹴らず、なぜムエタイのように足甲を用いて蹴らねばならぬのか、何ゆえに組手では三戦立ちや前屈立ちの移動稽古とは全く異なる、西洋運動の如くピョンピョンと跳ぶフットワークを用いねばならないのか、などということを、武術としての原理や学習体系としてきちんと説明できねばならない。
 それらが単に闘争として便利であるとか、単純に打撃として速そうだから、試合で強いからそうしているのだ、などという理由で済ませていては、スポーツ武道やビジネスとしての「エンターテイメント格闘技」には成り得ても、正統な武術とは言い難いだろうし、そのようなものが「武術文化」として後世にまで遺されて行くとは到底思えない。

 因みに、グレイシー柔術の体系にはボクシングやムエタイのような原理の打撃が存在せず、ヒクソン氏がスタンディングで用いるパンチなどは、他の打撃系の格闘家と比べて一見稚拙に見える場合さえあるが、それはグレイシー柔術の「身体構造」を、ヒクソン氏が正しく守っている証拠でもある。
 試合に便利だからといって、学習体系に無いものを軽率に取り入れることのない姿勢は正に見習うべきところであり、その学習体系に対する一貫した姿勢は、スタンディングでの打撃とは反対に、氏の真骨頂であるグラウンドになってからのパンチが他の打撃系格闘家の比ではないことを見ても明らかである。

 世に疎い私が他門の内情など全く知る由もないが、昨今は著名な空手の選手でさえ熱心に流行の身体操作法やヨガなどを研究したり、門を挙げて中国拳術の練功を積極的に取り入れるようなご時世だという。
 日本の空手家が何故わざわざヨガを訓練したり中国武術の練功を取り入れなければならぬのか、そのあたりの事情は私にはよく分からない。
 私自身はその昔、南拳を想わせる空手の「三戦立ち」の不思議なカタチに興味を持ち、太極拳の站椿と比較してしばらくの間研究したことがあったが、研究を進めるにつれ、その「三戦立ち」が実は内家拳の拳理までをも示す大変高度な站椿に他ならないことを知って、たいへん驚かされたことがある。
 「三戦立ち」は、それ自体がすでに、完全な身体構造を造る「站椿」であった。
 しかし、かと言ってそれに感動した私が三戦立ちを訓練しなければならないような事情は何処にもなく、以来、太極拳の訓練に三戦立ちを取り入れたわけでも無かった。私には学ぶべき太極拳の站椿があり、理解するべき架式の構造の妙があったからである。
 高度な原理を示す基本として存在する空手の「立ち方」を差し置いてまで、門を挙げて中国式の歩法や站椿を練習する必要が現代の空手には在るのだろうかという素朴な疑問を感じてならない。

 競技空手に見られる「高速上段突き」なども、元来の沖縄空手には全く存在しなかった技法であろう。
 沖縄空手には、首里手、那覇手、或いは泊手などの各系統があるが、それらの構造を直截よく示している古来の「型」の映像を拝見しても、今日の「高速上段突き」のような、一昔前の西洋運動風にピョンピョンとフットワークで飛び跳ねた挙げ句、膝を抜いて身体を落下させ、それを推進に変えるような身体の使い方が可能となる「構造」などは何処を探しても見当たらないように思える。

 私は空手に関しては文字通りの門外漢に過ぎず、ここで述べるような事は単なる他所者の戯言に過ぎないが、長年ひとつの武術を学んでいる立場からは、かつて大陸から渡ってきた中国拳術の精髄を受け継ぐ空手の秘奥はあくまでも「唐手」の中に、つまり本土へ伝えられる以前の「沖縄手」にこそ存在している筈であると思える。  
 その本道を尋ねれば、汲めども尽きぬ源泉が溢れ出ているに違いなく、わざわざ他所へ行って研究をし、余所サマの学習体系や、外人サンのフットワークや、何処ぞの格闘テクニックを借用して来なければならぬほど、本来の空手の体系は脆弱なものではないはずである。

 このような現象は、随分勿体ないことであると思えてならないが、これらは元々武術の学習体系に存在している「基本」の研究が疎かにされた事にも、その一因があるのではないかと思える。
 かつて文明開化の波と共に本土に紹介された沖縄の「唐手(とうでー)」は、西洋式の運動理論によって徐々にスポーツとして改変され、名称も「空手(からて)」と変えられ、瞬く間に全国に広まっていった。
 しかし、やがて戦後の試合競技の普及に伴い、試合用の決められたルールの中で勝てば良しとする発想が優先される傾向が斯界や選手の間に横行し、徐々に武術本来の基礎訓練と試合競技での戦いとは内容が異なるとする発想や、型自体が単純な実戦の用法しか示さぬものであり、極端な場合は「型」さえ不要であるとする考え方さえ生じ、そのような状況が続く中で、基本こそが秘伝であり武術の神髄であるという、武術の根本的な認識が余りにも希薄になってきたのではないかと思えるのである。

 戦闘というものを、安易に現代格闘技の戦い方のイメージで量ろうとすれば、『伝統武術は果たして実戦に使えるのか?』などというナンセンス極まる疑問が生じてしまうのも無理からぬ事かもしれない。
 しかし、そのスタイルが「強い」とか「弱い」などということ以前に、根本である学習体系の中身が、それぞれの門派独自の理論によって、基本から実際の戦闘に至るまで、隅から隅まで整然と確立されているかどうかということが、まずは「武術」として最も問題とされるべきことではないだろうか。

 その武術は、何をもって戦闘力とするのか。
 何をもって武術的運動の根本とするのか。
 何をもって早さとし、何をもって戦闘の優位とするのか。
 その武術の根本となるチカラとは、何であるのか。
 また、どのようにしてそのチカラを用いるのか。
 戦い方は、その門派独自の武術原理に基づいて正しく確立されているか。
 それらを習得するための順序や方法は、どのように学習体系として整備されているか。

 少なくとも正しく伝統武術の流れを汲むものには、拳種や門派を問わず、そのような学習体系が詳細にわたって整備されているはずである。


知者不言、言者不知・・


 太極拳の「戦い方」は、何百年にもわたって工夫改良され、現在も更なる進化を続けている。
しかしその真髄は現在まで、永きに亘って厳重に秘密にされてきた。
 そして、昔も今も、そのあたりの事情は何も変わってはいない。

 『知者不言、言者不知』という言葉があるが、そのような事情のために、今日それを「知る者」は極端に少なくなったと思える。しかし「知る者」がわざわざそれを一般に公開するようなことは滅多に有り得ず、またそのような義務も無い。そもそも、ひとつの門派を預かるような立場にある武術家が、ご丁寧に自分の戦い方を詳細に公開し、不特定多数に研究させるようになってしまったら、既にそれは武術家とは言えないのかもしれない。

 例えば空手の「ナイファンチ」は、未だに何のために存在しているのかが解明されていない秘伝の「型」であるとされているし、琉球王家・本部流唐手の、故・上原清吉先生のような究極の歩法などは、本部流の正式な継承者にだけしか伝えられることがない重要な秘伝とされているはずである。

 同様に、今日、世界中に広く紹介されている陳氏太極拳術の核心とは、即ち「纏絲之法」に他ならないが、その「纏絲勁」本来の基本練習や段階訓練の中身は、いまだ外部には何ひとつ明らかにされていないと言える。
 日本で中国拳術が広く紹介され始めた時期に、本来はそれが「内勁」や「虚実」の問題から語られなくてはならないものであるにも関わらず、外見のスタイルや平易な図などで説明された感覚に偏った纏絲勁ばかりが紹介されたこともあってか、本来の纏絲勁そのもののイメージには少々遠かったようにも思える。
 纏絲勁は決して単純なものではないが、正しく段階的な学習を許されればそれほど難解なものではない。
ただ、正しい学習法や正しい練功法がきちんと伝えられているのかどうかが最大の問題なのである。

 「馬歩(ma-bu)」についても、同じことが言える。
 基本中の基本である「馬歩」の立ち方は、ただその立ち姿を観るだけで、それが本来の陳氏太極拳であるかどうかを容易に判別することが出来るほど、大変重要なものである。
 他の拳種が混入したところの陳氏太極拳の馬歩は、根本的な原理とは全く異なる立ち方をしていることが明らかに見て取れるし、長年陳氏太極拳を研究してきた立場からは、それが物理的にどのように異なり、何故それが太極拳として誤りであり、武術として成立し得ないかを詳細に説き明すことも出来る。
 馬歩は、どれほど歩幅が狭くとも、膝が僅かばかりしか曲がっていなくとも、正しい馬歩は正しい馬歩であるし、稽古に限らず日常歩行の中でも、極言すれば椅子に座っていても、横臥の姿勢でも練ることができる。
 反対に、どれほど見かけが似ていて、姿勢が低く、足幅が広くとも、また仮にそれで何時間立っていられようとも、馬歩の原理で構造が整えられていないものは、やはり馬歩にはならない。
 例えば、陳氏太極拳の「跌岔式」は馬歩の構造を端的に示すものだが、上述のような他の拳種が混入したものには本来の跌岔式の構造を見出すことはたいへん難しい。同様に、他門を学んできた入門者に跌岔式をやらせてみると、本人が何を学んできたのかが一目瞭然に理解できる。

 私が学んだ頃には、馬歩の立ち方は太極拳の「秘中の秘」と言われ、来る日も来る日も馬歩の立ち方を研究し、その立つ位置を正しく取るだけでもかなりの歳月を要した。馬歩で立てる位置はただ一点であると教えられたが、まるで固く張られた大きなゴムのボールの上に立つが如く、その一点を見つけるまでは困難を極めた。
 稽古の繰り返しの中で苦労してそれを見出し、ようやく正しく立てるようになったかと思えば、今度はそれで動くことが儘ならず、歩法の訓練などでは全くの間違いであると叱られ、また馬歩の原点に戻って立ち、帰途の電車の中では最早立っていることも出来ぬほど、ひたすら立つ訓練をしたものであった。
 そのような教授法は私の愚鈍さ故に課せられた訓練法であったに違いないのだが、馬歩の「立ち方」の何たるかが解れば太極拳は半分修得できたようなものだと言われ、馬歩の偉大さだけはつくづく納得したものである。

 数多くの拳種を修めた高名な中国人老師が、ある外家拳の馬歩と陳氏太極拳の馬歩を、それぞれ明らかに「馬歩の構造」を変えて演じている映像を拝見したことがあるが、私にしてみれば同じ人間がその「二種類の馬歩」を修得できること自体、たいへん驚異的なものに思えた。
 もし私がその外家拳の馬歩の形を真似したら、おそらく五分も立っていられない(立って居たくない?)に違いないし、たくさんの拳種を練って優れた功夫を積んで来たその老師が、陳氏太極拳を練る時にだけ「陳氏の馬歩」に変更できるというのは、私などにとっては、ほとんど神ワザに近いことだと思えたものである。

 陳氏太極拳は何ゆえに「馬歩」で練られるのか・・。
その理由さえ解れば、どのように立つ事が正しいのかを理解できるし、多くの要訣の意味も解けてくる。
 また、それが果たして他の拳種と併用が出来るのか否かという事なども、それに伴って理解されてくるに違いない。馬歩の「立ち方」には、それほど深い意味があるのである。

 なお、余談ではあるが、馬歩にはその学習を補う「馬歩のための馬歩」の練功が存在する。
これは今日ではほぼ失伝してしまっていて、殆どそれを練る人が居ないものだが、図に描かれているものが残されていたり、心意拳との繋がりを想わせる形意拳の古拳譜にも詳しく載っているのに、肝心のやり方が秘密とされてきたために、未整理の倉庫に深く収納されているような状態になっている。
 しかし、私の経験から言えば、これを学ばなくては、馬歩は一般的には大変難解なものとなってしまうと思われるし、基本功や套路でも大変な遠回りをすることになると思う。
 「馬歩」は、それ自体で理解しようとするよりも、この練功を用いる方がよほど分かり易い。
 それが站椿や套路と同じように馬歩の「段階訓練」であると解せば、さらに深い理解が得られると思う。先人たちは何と素晴らしいものを考案してくれたのかと感心せざるを得ないが、後に、この原理が古い西洋の運動の中にも部分的に存在するということを見出した時には、本当に驚かされたものであった。


 「発勁」もまた然りである。
 これほど魅力的な言葉も他に無いのではないかと思えるほど、日本人には発勁に対する大きな拘りがあるように思える。現に発勁に関する本が幾つも出版されたり、雑誌では寸勁や暗勁の打撃力を他の武道や格闘技などのパンチと比較して測定する特集が組まれたりもする。

 太極拳で「発勁」が出来るのは神秘でも何もなく、当たり前のことである。
それが太極拳の中の学ぶべきひとつの勁に過ぎないことは、既にこのホームページにも書かせて頂いた。
 『発勁はバネチカラで、拙力はバカチカラである』とは、かつて研究家の笠尾恭二氏の言であるが、なかなか言い得て妙である。氏の言葉を拝借すれば、いくら学んでも発勁が出来ないと言うことは、太極拳をいくらやってもバカチカラしか出せないということであって、それでは余りにも哀しい。

 太極拳を学びながら「発勁が出来ない」というのは、喩えれば、水泳教室に通ってもいつまで経っても「泳げない」のと同じことかもしれない。
 私のところに入門した人たちは、女性も子供も武術未経験者も、誰もが1年も経たないうちに相手を数メートル先まで弾き飛ばすような基礎的な発勁を体験し始めるが、当然ながら、門人たちは皆それを学習上当たり前のことだと思っているので、たまに見学に来た人が思わず椅子から立ち上がって「すげ〜!」などと声を上げると、一体何のことかと、門人たちの方がキョトンとすることがある。

 何もスゲーことではない。発勁は純粋な「技術」であって、正しく身体の構造を整える手順さえ踏めば誰にでも出来る「非日常的」なチカラの出し方に過ぎない。
 それは、ピアノが弾けない人にとっては、弾ける人の指使いが奇跡のように思えても、教師に就いてピアノを基礎から正しく習った人にとっては奇跡でも何でもない当たり前のことであって、そのように学びさえすれば誰もがピアノを弾けるようになるのと同じことなのである。弾けない人から見れば「非日常」の世界として映るが、正しく学んで弾けるようになった人にとっては、ごく普通の「日常」に過ぎない。

 もちろん、巧い下手はある。習得までの時間も、発する勁の大きさや精度純度の差、武術としてそれを用いた場合の内容や、効き具合の程度もある。ピアニストと習い始めた小学生とはレベルが異なるに決まっている。
 しかし、ピアノを習い始めた子供とプロのピアニストが弾くものは「正しくピアノを弾くこと」に於いては基本的に同じものであって、それを徐々に高みに誘って行き、プロのピアニストのレベルに導いていくことが指導者の役目であり、学ぶ側にとってはその過程が学ぶことの楽しさや面白さ、目標や意欲となる。
 発勁も、馬歩も、纏絲勁も、皆それと同じことに過ぎない。
それら奥義の中に秘伝は存在しても、それら自体は神秘でも秘伝でも何でもないのである。

 太極拳は、本来誰もが理解し得る「原理」と、それを用いるための「方法」で出来ている。
 もちろん「原理」それ自体は、即戦闘のために用いられる武術原理に他ならないが、その原理を理解するための学習と、戦闘技法を習得するための学習とは「方法」が異なっており、原理習得が中途半端な状態では、表面的な戦闘の形や技法をいくら学んでも何も解らないし、反対に「方法」からは「原理」を取っていくことは出来ない。
 したがって、この「原理」を師よりどれだけ教授して貰えたか、またその原理が何ゆえに「戦闘」に用いられ得るのかという事をどれほど学ぶことができ、どれほど修得できたかによって、その人の武術的な力量が決まると言える。

 また、いわゆる「套路の実戦用法」というのは、太極拳の「戦闘法」ではない。
 よく話題にも上り、雑誌や入門書、ビデオなどでも必ず解説されているが、套路の「実戦用法」という類のものは、上述の意味に於いて、私たちの門には存在していない。
 未だ私たちの学習体系を知らぬ、余所で太極拳を経験してきた新入門者は套路にそのような実戦用法がないことを知って大変驚くが、そもそも、単なる基礎架のひとつや表演用に作られた套路の動きを、見た目で真似て実戦用法としても、どうなるものでもない。

 私たちにとって套路とは、実戦用法のための訓練型ではなく、「太極拳の身体」を練り上げるための総合的な練功法として存在している。それは、武術としての身体を段階的に練り上げていくために細密に工夫され尽くした優れた練功法であり、個人のその時々のレベルや段階に応じて練るべきものに向かい、緻密に高めて行くことの出来る、極めて画期的な「訓練システム」なのである。

 もし太極拳の套路を「実戦のための訓練型」としたいのであれば、それ以前に「原理を得るための練功」を正しく充分に学んだ後に工夫する必要がある。いきなり套路の外見的な形や初学のフォルムを使って対人訓練に臨んでも、それらは決して即ち実戦用法とはならない。

 精密な太極拳の基本や学習体系を知らぬままに、一般に知られ得る「見えるレベル」での套路と、それを型とした「実戦用法」に偏った訓練法をもとに練習をし、そこでの不足や不安を補うために現代格闘技の身体操作や戦闘法を借用することで「太極拳の戦い方」としても、おいそれと他の闘争術には通用するわけがないのである。

 しかし、誰かがそれをやって来てしまった故であろうか、伝統武術としての太極拳は、他の闘争術よりもはるかに弱い、「いつになったら戦えるのか分からぬ、体操もどきの健康武術」とされてきたらしい。

 ・・大変な誤解である。


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